川中島古戦場第二弾

    下記の写真は三太刀七太刀之跡
    この辺りで両雄の一騎討ちがあったか?と思うだけで、ぞくぞくします。

    川中島二弾①

    永禄4年9月10日、ここ八幡原を中心に上杉、武田両軍30,000余の壮絶な死闘が展開された。
    上杉謙信は紺糸縅の鎧に萌黄緞子の胴肩衣、金の星兜に立烏帽子白妙の練絹で行人包、長光の太刀を抜き放ち、名馬放生に跨がり戦況の進展に注目、乱戦で武田本陣が手薄になったのをみ、旗本数騎をつれ信玄の本陣を強襲した。
    この時の武田信玄は諏訪法性の兜、黒糸縅の鎧の上に緋の法衣、軍配を右手にもち、この地で崩れかかる諸隊を激励指揮していた。この信玄めがけて謙信は只一騎、隼の如く駆け寄りざま、馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に負傷を負った。
    後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあったといわれ、この一騎打ちの跡を世に三太刀七太刀の跡という。


    第一弾二

    八幡社は山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡として、この地に勧請したと伝えています。
    永祿4年の第4次川中島の戦いのときに武田信玄が八幡原に本陣を構え、激戦場になったため社殿は破壊されてしまった。
    そこで信玄は海津城代高坂昌信(春日虎綱)に命じて社殿を再建させました。

    現在ある社殿は、上田市の生島足島神社が改築されたときの旧社殿を譲り受け、皇紀2600年記念事業として、昭和15年に移築したものだそうです。

    川中島二弾③

    妻女山
    上杉謙信公が陣取った妻女山から観た八幡原の風景

    上杉謙信公が座って琵琶を弾いていたとか?
    何を考えながら、何を話しながら、下山の機会を伺っていたか?

    あっと、言う間に…

    1年経過するのは速いです。

    あっと言う間に第14期も終了しまして、

    記念すべきか?

    第15期最初のひとり社員旅行は川中島古戦場に決定しました。

    下の写真は八幡社です。

    第一弾二


    この八幡社では地域のボランティアの方達より、

    川中島合戦の色んな事を説明して頂けます。


    下の写真は執念の石です

    第一弾三


    執念の石とは・・・
    武田・上杉両軍30,000余の死闘を展開した川中島合戦の最中、
    作戦の失敗から緒戦の劣勢を余儀なくされ、身辺が手薄となった武田信玄めがけて
    切り込む上杉謙信の鋭い切っ先に、あわや信玄も八幡原の露と消えようとした間一髪、
    武田軍の中間頭原大隅が、傍らにあった信玄の持槍、
    青貝の長柄を取って馬上の謙信をめがけて、ひと槍突きだした。
    苛立った槍は鎧の方を斜右上から力いっぱい打下したが、
    またも外れて馬の三頭をしたたか打ったので、
    馬は驚き跳ね上ってその場を狂奔し去ったため、信玄は危く虎口を免れることができた。
    一方謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隅は、傍らにあったこの石を槍で突き通したといわれます。



    下の写真は上杉謙信公と武田信玄公の像です

    川中島一弾①

    本当に春日山城周辺のボランティアの人達同様に

    長野県の人達も、上杉謙信公と武田信玄公が

    大好きなんだなぁ~~と感心させられます。



    かなり違う路線

    大阪のお土産が届きまして、

    勝手に「 大阪城関連?幸村公関連?」と思ってましたら、

    何と何とミニオンズのぬいぐるみとクッキーでした。

    IMG_7262.jpg


    毘沙門天の隣に置くのも如何なものかと…

    かなり違う路線ですが、楽しく飾りたいと思います。
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